《
誕
生
と
榊
原
家
の
相
続
》
榊
原
忠
次
は
、
慶 け
い
長 ち
ょ
う
10
年(
1
6
0
5
)、
大 お
お
須 す
賀 が
忠 た
だ
ま
さ
政
の
子
と
し
て
生
ま
れ
ま
し
た
。
祖
父
は
「
徳 と
く
が
わ
川
四 し
て
ん
の
う
天
王
」の
一
人
、
榊
原
康 や
す
政 ま
さ
で
す
。
父
は
母
方
の
大
須
賀
家
(
徳
川
家
の
重
臣
)
を
継
ぎ
、
忠
次
も
そ
の
跡
を
継
ぎ
ま
し
た
。
し
か
し
、
榊
原
家
の
当
主
が
若
く
し
て
亡
く
な
り
、
徳 と
く
が
わ
川
家 い
え
や
す
康
の
命
で
忠
次
が
榊
原
家
を
継
ぎ
ま
し
た
。
な
お
、
忠
次
が
「
松
平
」
を
称
す
の
は
、
大
須
賀
家
の
ゆ
か
り
に
よ
る
も
の
で
す
。
《
白
河
藩
主
と
し
て
の
業
績
》
忠
次
は
11
歳
で
榊
原
家
を
継
ぎ
、
39
歳
で
館 た
て
ば
や
し
林
(
群
馬
県
館
林
市
)
か
ら
白
河
に
転 て
ん
ぽ
う
封
し
ま
し
た
。
白
河
で
の
治
世
は
、
わ
ず
か
6
年
間
で
し
た
が
、
領
内
に
15
か
条
白
河
歴
史
人
物
伝
江
戸
初
期
の
大
名
文
化
人
の
一
人
榊
さか
き
ば
ら
原
(
松
まつ
だ
い
ら
平
)
忠
ただ
つ
ぐ
次
Vol.14
の
触 ふ
れ
が
き
書
を
出
し
て
藩
の
基
本
姿
勢
を
示
し
た
ほ
か
、
鹿
嶋
神
社
に
自
筆
の
祝 の
り
と
詞
(
中 な
か
と
み
の
は
ら
え
臣
祓
)
を
奉
納
し
て
い
ま
す
。
ま
た
現
在
の
桙 ほ
こ
つ
き
衝
神
社
(
須
賀
川
市
)
本
殿
は
忠
次
が
再
建
し
た
も
の
で
す
。
《
文
化
人
と
し
て
の
忠
次
》
そ
の
後
忠
次
は
姫
路
(
兵
庫
県
姫
路
市
)
藩
主
と
な
り
、
61
歳
で
亡
く
な
り
ま
す
が
、
文
化
人
と
し
て
も
著
名
で
し
た
。
学
問
を
好
み
、
和
歌
集
を
ま
と
め
蹴 け
鞠 ま
り
も
名
手
で
あ
り
、
徳
川
家
の
創
業
史
「
御 ご
当 と
う
家 け
紀 き
年 ね
ん
録 ろ
く
」
も
編
さ
ん
し
ま
し
た
。
忠
次
は
公
開
を
憚 は
ば
か
っ
て
秘
本
と
し
ま
し
た
が
、
約
1
2
0
年
後
に
幕
府
に
献
上
さ
れ
ま
し
た
。
な
お
、榊
原
家
は
寛 か
ん
ぽ
う
保
元
年(
1
7
4
1
)、
越
後
高
田
(
新
潟
県
上
越
市
)
に
転
封
し
て
白
河
周
辺
に
も
領
地
を
与
え
ら
れ
、
再
び
白
河
と
の
縁
が
生
ま
れ
て
い
ま
す
。
シ
リ
ー
ズ
で
学
ぶ
問
文
化
財
課
☎
2
3
1
0
白河で活躍するALT(外国 語指導助手)を紹介!
デワイルド・サシャ先生 (オーストラリア 南オース トラリア州)
問本庁舎学校教育課 内2365
▲五箇小での授業の様子
スマイルイングリッシュ!
英語で一言!
Have as much fun as possible!
(できるだけ楽しみましょう!)
Hello,
from
Aroun
d the
Wor
ld
ALT通信
し続けることです。それが英語上 達への近道だと思います。 学校の外でも、気軽に英語を使 ってくれたら嬉しいです。スマイ ルでたくさん話しましょう! みなさんこんにちは。前回に引
き続きサシャです。
私は南中・五箇中・白四小・五 箇小で英語クラスを担当していま す。白河の子どもたちは笑顔で元 気な挨拶をしてくれるので、私も 毎日スマイルで過ごしています。 授業では、クイズ、リスニング ゲーム、手作りイングリッシュか るた、英語とバスケットボールを 組み合わせたゲームなどを取り入 れて、楽しく英語が学べるように 工夫しています。
また、子どもたちと一緒に給食 を食べたり、掃除をしたり、学校 生活を楽しんでいます。
英語を勉強する上で大事なこと は、間違っても気にしないで挑戦
(
1
6
0
5
~
1
6
6
5) 榊原忠次像(部分)
(上越市榊神社蔵、 (公財)旧高田藩和親会管理)
榊原忠次自筆中臣祓(部分)
(鹿嶋神社蔵、白河市 歴史民俗資料館寄託)